◆Heretique◆

学者の手記の形をとったファンタジー
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◆生物学者の手記を史学者が研究した角度でファンタジー存在を描写しています。観念的な短文です。◆

Heretique@ヴァルティ
Heretique@ヴァルティ

以下の手記は、生物学者ヴィレーレ=ハルトマン(享年42)が記した研究観察記録に残されたものである。
生涯彼の研究対象であった『ミメシスアリ』に関する最後の論の中になるが、この手記部分は研究内容に則さないばかりか、観察記に相応しからぬ感情に支配され、残念ながら学術的な価値があると言えない。
論旨を纏める際、自然、割愛されてきた部分になるが、ここに私は深く興味を誘われたがため、この手記を公開するものである
ハイン=クイリッヒ著

以下の文はヴィレーレ=ハルトマン、研究手記よりの抜粋となる。

1
私がこの出来事に出会ったのは、決してそう遠い時の事ではない。
何かの悪夢とも、あるいは白昼夢ともつかないこの出来事は、私にとって生涯唯一の、語るべき記憶と言えるだろう。

論中に残すにはあまりに曖昧、そして手記しか記した事のない私にはどう記述していいかわからない出来事の記録になる。

論文としてこれを読んだ学者諸兄は一笑にふすだろう、そして市民の読み物とされるにはあまりにも粗雑だろう。
わかっていながら、私は書かずにいられない。

ーーどうか、せめて誰もに伝わりやすい言葉を求め、ここに綴っていこうと思う。

願わくは、書きあがるまで。

私の、意識が明瞭であるように。

いつのことになるのか。春の日だった事は覚えている。
生物学の研究者たる私は希少動物を追い求める探索の中、つい気付かず私たち人の世界と、「彼ら」の世界との境界線を越えてしまっていた。
『彼ら』。
諸兄らも知っていることと思う、町を外れればすぐに遭遇するあの未知の魔物達だ。
人の町を出たならそこが彼らの領域、あえて領域に踏み込むまでもないとも言えるかもしれない。
何度も探索の旅に出ていた私が、それまでよく彼らに捕まらなかったものだと思うと不思議な気さえする。しかし、ともかく。
その時も丁度町外れ、「彼ら」のことなどまるで失念して、私は研究対象である『ミメシスアリ』を追い求めていたのだった。

学者諸兄には今更、その他のーーもしもいたならばーー読者には蛇足にしかならないが、少し私の研究対象のアリについて説明をさせてもらう。

「ミメシスアリ」は中型のアリで、別名を「寄生アリ」とも言われている。良くあるアリと外見は大して変わりがないが、巣を地面ではなく朽木に作る習性がある。
このあたりには栄養のある赤土が豊富なため、大抵のアリは地面に巣を作るのが一般的だ。
しかしよく観察していくと、普通のアリにも関わらず樹に巣を作るアリのコロニーが発見される。中をルーペで覗くと、そこにはやはり普通の黒アリの姿しかない。それでむしろ正しい。そこにミメシスアリは住むのだ。

彼らは黒アリなら黒アリ、他のアリなら他のアリの、特有の臭腺を擬態し匂いを真似て、他のアリたちの上に少数で加わる。
いわば他のアリ―もとから地面に巣をはっていたアリたち―に寄生して、自分たちの繁栄を築く。これが『寄生アリ』と呼ばれる所以だ。

しかし彼らが、どうやって黒アリたちに「君臨」し、巣の位置までも動かさせるようになるのか――その生態は殆どまだ解明されていない。

その謎を解く事が、当時の私の興味の第一にあった。

その日は薄曇りで、ルーペで中を覗いても肝心のミメシスアリがなかなか確認できず、私は苛立ちを感じていた。
真剣に巣を覗き込んでいた私はだから、全く気がつかなかったのだ。

「彼ら」が私を、興味深そうに観察していることに。

「うわぁぁ!!」
気がついた私は、大声をあげたように思う。

まるで失念していたことを除いて、私は「彼ら」のことを知識として知ってはいた。
ただ、今となっても慣れる事がない異様な姿だ。
それまで文献上だけで覚えていたものを、突然目の当たりにした時の驚きは大きかった。無理もないと思っている。

ある者は肌に鱗を持ち、口に牙が並んで光り。
ある者は人にはありえない羽毛ある腕を持ち。
またある者の額にはもう一対の瞳が―ー。
昆虫めいた複眼に、人の瞼を持った奇怪極まりない目が、私を見つめる。表情の感じられない、だが興味と執着を感じる熱心さで。

私は失神しそうになった。
……いや、あるいはしたのかもしれない。

記憶が途切れた次の瞬間には、目の前に「彼」が居た。

彼の容姿を、物語るのは難しい。
身長は私より頭一つ高いが、体つきはそう逞しいようには見えなかった。
どちらかというと華奢な印象だった。髪はくすんだ金色で、憂いたような瞳の青が記憶に残る。
それは私の住む町の、一般的な血族と全く変わらない姿だった。
人と変わらない。しかしーー目元には。

『彼ら』と同じ色の、厳しい悲嘆の色が染められていた。

「人が踏み込むには厳しい土地だが。…お前は、何者だ」
通りのいい声で、彼はそう言った。発音はしかし、奇妙なものだ。使い慣れない言語を久々に使った、とでも言うかのような。
そもそもがまるで自分は人ではないかのような口ぶり―自分で自分の存在を認めないかのようだ。
……今思えば彼は確かに、―自らを人だとは感じていなかったのだろう。

「私は――えぇっと、学者です」
間の抜けた回答だったと思う。しかし、彼は笑わなかった。

『……学者』
彼の声音は、私の言葉の抑揚を真似るように繰り返した。
「……学者が、この地に何用だ」
次の言葉は、明確に人の発音となっていた……例えるなら、人の言葉を真似る鳥が、その声を整えて言葉を自らのものとするように。

「用……は、ありませんが…その、気がついたら……ここに。」

私が語れるものはあまりにも少ない。しかし彼はそれでも構わなかったらしい。
というより、私がここに来た「経緯」に興味はなかったのだと思う。

彼は独特の――哀れむような視線を私に投げると言葉を続けた。

「――喰われる気がないならば、……私の側を離れないことだ」

「……は?」

わけが、わからなかった。

「喰われる?」

彼は唇をかすかに歪めると、端正な顔を私の耳に近づけた。
琥珀の髪が私の頬に触れる――。
彼の静かな息を身近に感じたのは、この時が最初で最後だったが。

「-下がれ」

「わ!」

途端、私の耳元から何かが霧散した。
それが何だったのかは今もって私にはわからない。
『彼ら』のうちの姿小さい種族―か何かが、私を食らおうとして彼の言葉で場を退いた、といったところなのだろうか。

「……い、いまのは」

「私は言葉を解す。―私の命に従え」

私に告げたものとも、その他の私には姿見えぬ『彼ら』に告げたともつかない言葉。

この時から私は、彼の姿に魅せられ始めた。

沈んだ艶を放つ金の髪、その流れを分けるように嵌められた額のサークレットには異教の証。
整った顔はその影を、憂いをより際立たせるかに見える。
……神を拒絶し、神に拒絶された者。

『彼ら』の間に時はない。
『彼ら』に言葉はなく、
――そして『彼ら』には、争いがなかった。

いつか彼が、私に語った。

「言葉を持たないがゆえに、ディズグルは言い争うことがない」

『ディズグル』。
彼が私に、『彼ら』について語るときには必ずその呼び名を取るのだった。
意味はと聞いた時、謎めいた言葉を残された。
「――この地でお前ではないもの、全て。」
彼は、一言そう答えた。

彼にとって、ディズグル―私もこの呼び名を仮にとろう―が一体どのような存在だったのか。
推し量るのは、この言葉からだけでは難しい。

――彼は、ディズグルを尊んでいたのだと思う。
嫌悪するようにも見え、時には彼らを忌む言葉さえ呟いたが、それでも彼の表情、視線からはディズグルへの奇妙な信頼感、時には憧憬――を感じることができた。
そして彼のその思いを代弁するかのように、彼に懐く一体のディズグル――金色の翼、鱗を持つ―鳥のようにも、蜥蜴のようにも映る姿の。
彼の背後、向かう後には必ずその金色の影が差していた。
私には、その影が彼を共存者として庇護し、敬愛するものなのだと思えていた。

彼はディズグルを愛するがゆえに統治し、ディズグルは彼を敬愛し畏怖するが故に、従うのだと。


『彼らの崩壊は一匹のアリによって、あまりにも容易く訪れた。

黒アリの巣に寄生する彼らの中に、さらに他の巣に寄生していたミメシスアリを一匹混ぜてみたのだ。

すると、黒アリたちの反応は早かった。
それまで仕え、ミメシスアリの忠実な働きアリとして活動していた黒アリ達は新たに投入されたミメシスアリに攻撃を始め、
同じ巣に寄生していたミメシスアリに対しても熾烈な攻撃を始めた。

ミメシスアリ自体は臭腺擬態の他には何の力を持つアリでもない。
黒アリの巣の中では逃げ場のあろうはずもなく、あまりにあっけなく彼らは黒アリの食料へと化していた。

彼らは擬態が露見した暁には、死を免れることは出来ないのだ。』

彼は私に名を明かさなかったため、私も名を語りはしなかった。

しかし私は、彼のことを知りたいと願った。
彼は一体何者なのか。
何故人の姿をしていながら、ディズグルに交えて生きているのか。
彼は人なのだろうか?あるいは『ディズグル』なのだろうか?
一体彼はーー…………

私はここで研究者たるべきではなかった。

私こそが知るべきだった、私こそ――――。

私こそ黒アリの巣に放り込まれた、
擬態していないミメシスアリだと。

「あの」
背後に金色の鱗持つ影を従えた姿は変わらない―
私は彼に声をかけた。

彼らの地には本来ならば「建物」はないのだろう。
しかしこれは彼が設けさせたものか、彼はディズグルを従える宮殿のような―迷宮のような壮麗な建築物に暮らしていた。あれを「建物」と呼ぶならばの話だが。
私も勿論、あの夢のような―悪夢のような数日あるいは数年の間。
その中に、生活していたことになる。

その窓辺――人界を見遣る迷宮の縁――に足をかけて座り、彼は。
そこだけは人の世界と変わらなく映る夕闇に染まった空を眺め、憂いた横顔を見せていた。

今も目を閉じればその姿が思い出せる。
彼の整った横顔には普段の怜悧さはなく、年の離れた少年のような―甘い表情が宿っていた。

……あの時彼は何を思っていたのだろう?

ディズグルを見てはいなかった、彼はあの時「支配者」ではなかった。
その彼の姿に私は惹かれていた。

一匹ノ蟻ニヨッテ、彼ラノ王国ハ崩壊スル。

繰り返し思う。
私は、研究者たるべきではなかったと。

「あの」

もう一度声をかける。彼は表情を変えずに振り向いた。

「……」
何も答えはなかったが、その視線に厳しさはなかった。
それまで彼は姿こそ人だが、ディズグルと同じ目をしていると感じていた。しかし。
振り向いた彼の目にあったのは、沈み込んだ悲嘆の色ではなく。

「……来るといい、お前もここに」
彼は――微笑した。

ディズグルは言葉を持たない。
ディズグルは感情もなく、そして表情を持つこともない。

ーーあなたは、魔ではない。

私は彼の微笑に凍り付いた、それは悦びとも恐れともつかない、戸惑った感情だった。

ーー初めて見た時から明らかだった、貴方は『彼ら』とは違う。

貴方は私に『言葉』を持って話し掛け、『感情』をもってディズグルを愛し、
今私に微笑という『表情』で語ったではないか?

貴方はその矛盾に気づくべきだ、あなたは魔ではない、あなたは私と同じ――――

―――擬態スル同朋ヨ―――。

私こそ黒蟻の巣に放り込まれた、擬態していない蟻。
王国ヲ破壊スル一匹ノ蟻。

オ前ハ私ト同ジ種族――。

「私はヴィレーレ=ハルトマン。貴方の名前を、伺いたい」

「――――」
彼は驚きに目を見張った。
その表情さえ、魔ではなく人に相応しいもの。私にはそう思えた。
サークレットにつけられた赤い宝玉が、彼の額の上で小さく揺れる。

「……名前……」

貴方は人です、紛れもない人間です。ーー魔ではない、ディズグルではない。

「――貴方の、名は?」

おそらくはあまりに唐突、あるいは初めての問いかけに、彼自身が戸惑ったものだろう。

もしかしたら、平時に―あるいは始めてであった時に私が彼に名を問うていれば、
彼は答えなかったのかもしれない。

「……ヴァルティ=ラシュティア」

告げる声と、当時。
金色の影が彼をーー。
その鱗持つ翼で庇護するように包み込んだのを私は見た。

ヴァルティ=ラシュティア。その名の響きを、私の耳に残して。

それまではまるで幻のようだった、存在を感じさせない金色の影。
彼の背後の『ディズグル』の目は今悲嘆を湛え、私に表情のない視線を送る。

「ーー……。」
私はそうして、ここで気づいた。

あまりに重い、知識を求めた故の代償。
今更そのことに気がつきたくはなかった――しかし、私は。
『彼』と同じく、このことに気がついてしまった。

そう、彼はディズグルの目をしていたのではなかった。

彼は、もとより人だった。人でしかなかった。
そしてこの―今私を見遣る金の鱗の鳥も、――おそらくは。

「異端者」など、どこにもいはしないのだ――。


『驚きの発見があった。
擬態したミメシスアリはそのまま巣を乗っ取るわけではなく、黒アリの巣を支配しながらも数は決して増殖しない。
繁殖を行わず、そのまま寄生した一代のみで生涯を終えるのだ。

擬態し、寄生する。
そうすることによって得るのは自らの繁栄であるはずだ、今までの研究ではそれが前提にされていた。
しかしこの蟻は繁栄を望んで擬態するのではない。

ならば、何故か。
何故彼らは他のアリの巣に寄生し、
少数で生存しなくてはならないのか――?』

金の鱗持つ鳥の翼を払い、彼は静かに立ち上がった。

「――私は、ディズグルの王だ。」

「……」

私は、悟っていた。

やっと気がついた。それはそして遅かった。

もうこの地にいることは出来ない。彼の王国は、崩壊するから。

「ーー……お前は私を、……何と呼ぶ?」

私は答えた。答えようとした。
何故か涙が流れていたが、私は喉から懸命に言葉を紡いだ。

「……あなたは」

異形の、人間達の王。



『ついにわかった。
「擬態蟻」ミメシスアリは存在する。しかし「寄生蟻」ミメシスアリは存在しない。

彼らはもとより、たとえば黒蟻の異端者であり、赤蟻の異端者なのだ。

ーーいや、逆だろうか。
彼らこそは残された純血種なのだ。

巣の中に見える黒蟻の姿こそがむしろ、擬態し、そのまま固定されたミメシスアリの末裔というべきだろう。
巣の中に見えるのは姿こそ違えど、
全てがミメシスアリだということになる。

彼らは彼らの姿を変えた種族を何らかの原因で見つけ出し、彼らを指揮して一つのコロニーに纏めている。

別の巣のミメシスアリを混ぜた時示された黒蟻の攻撃性はおそらく、既に擬態して「固定」されてしまった元・ミメシスアリ達の生存本能というべきだろう。

彼らは自らの姿を捨てた。
その理由はわからない。繁栄のため、生き残りのため。

そして自らが『異端』となった元・ミメシスアリは、
生き残るために擬態していないミメシスアリを喰らう。
異端でなくなるために。

姿を変えないミメシスアリと、そうでないものとの差もまたわからない。

ただわかるのは、
ミメシスアリが寄生蟻ではなく、擬態蟻であるということだ』

「なぜここに、あなたはいるのですか」

私の唇は、感情とはかけ離れたことを彼に聞いた。
『そのこと』に気がついた私の心は、ひどく彼を――いや、ディズグルを――哀れんでいた。

「――お前にはわからない」

否定の言葉を、最後に聞いたように思う。

やがて夢から覚めるように、私は町の側に立っていた。
金の鱗が目の端に光る……ディズグルは確かに、あの地にーーこの世界にーー存在している。

町の側の森の中。
葉の間から落ちる光を、仰いで思う。

『ディズグル』。

今ならわかる。

――私以外の、全て。

以上が、ヴィレーレ=ハルトマンの記した研究観察記録に残された文章である。
彼はこの文を纏めた後に生物学研究より引退、その後42歳で若くも死を迎えている。

彼の以上の文に記される『ヴァルティ=ラシュティア』なる人物の描写が真実ならば、
彼は『彼ら』を纏めるとされた異端者の王ヴァルティ=ラシュティアと遭遇したということになる。
後に恐るべき魔の王として討伐されたヴァルティ=ラシュティアの姿を、違った形で捉えた珍しい手記だと言えるだろう。

勿論、彼の手記が全て真実だとすることは出来ない。
淘汰すべき、憎むべき存在とされた魔の者の姿をこの手記一つで変えて行く事はあまりにも難しい。

だが、彼の研究は『彼ら』と称される魔の者たちの生態に迫るものとして、文化的価値があるものと私は感じる次第である。

エルシス歴 75年 12月3日 
人類文化学者 ハイン=クイリッヒ