「ミキ、ただいま!」
勢いよく自宅のドアが開かれ、夫の嬉しげに弾んだ声が帰宅を告げる。
その声に似合わず表情は乏しく、端正な夫の顔はどこかシニカルにすら見えてしまうが、呼ばれた妻ーミキとしては、この表情にもすっかり慣れたものだった。
「お帰り、スヴェン」
夫、スヴェンがいつものように手ぶらで出て行ったのは知っていた。
トレンチコートの下はいつもの指定の服装、白のスーツ。(リハーサルですらない練習日だったら、何も毎日正装である必要は無いんじゃない?と一度聞いたことがあったが、なんでも事務所の契約で髪の長さはおろか服装まで指定されているとのことだった。ー窮屈そうだ、とミキは思う。)
指定の白スーツにほとほと飽きがきている夫は、帰宅と同時にすぐに着替えたがるのがいつもの行動だ。玄関でハグをして、軽くキスをしてお帰りの歓迎が結婚一年目のいつもの習慣。
ミキ自身も仕事を続けているので必ずしも彼女が出迎えられる日ばかりでもなく、平時はどちらかと言うとコンダクターである彼の方がフルタイムワーカーのミキよりは帰りが早いことも多い。
が、どちらにせよ一緒で、互いの帰宅時の「歓迎の挨拶」でハグとキスを欠かしたことはない。
純然日本人であるミキとしては抵抗がなかったわけではないが、今となってはすっかり夫のペースに巻かれ、甘ったるい習慣が日常と化しているのだった。
しかし。
今彼は帰宅したのにコートを脱ぐそぶりもなく、右手を背に回して何かを持っている風情。
「?どうしたの?なんか嬉しそうだけど」
いかにもその問いを待っていた、と言う表情で夫は再びニヤリとした。
悪巧みでもしていそうな顔だが、おそらく彼は今心からの笑顔を浮かべたつもりだろう。
「Alla hjärtans dag!Tack alltid,Miki」
告げられるスウェーデン語と同時、見守る胸元に差し出されたのは、黄色とオレンジのビタミンカラーも鮮やかなブーケ。
「え?何?可愛い!くれるの?ありがとう!」
「君の国では甘いものを女性からプレゼントするって話は知っているけど、私はあくまでも自国流で行くよ。今日はAlla hjärtans dag(オールハートデー)で、親愛な相手に感謝を込めて何かプレゼントを贈る日なんだ。花や、甘いーハート型のグミなんかを。
ーーで、君に似合いそうな色のブーケを用意した。受け取ってくれて嬉しいよ、ミキ」
不意打ちに近いサプライズ。
ーこの夫は本当に人を喜ばせるのが上手い…とミキは心から思う。
「ありがとう…私も一応、日本式でチョコ用意したんだよ?」
「それは何よりだ。ーー出来たら甘すぎないものが嬉しいんだけど」
ー夫から、ミキの額にキス。身長差の大きさ故か、夫スヴェンはミキの額によくキスをする。
「もちろん、わかってるよ!ご飯にしよう?美味しく出来たから、あー早く食べたい!早く早く!」
屈託無い妻の笑顔は、果たして夫への愛情のみか、いくばくかの食欲も影響したものか。
そんな笑顔と嬉しげにブーケを食卓に飾る姿を目で追って、表情の乏しい夫の目元にようやく、柔らかな笑みが浮かぶ。
「Jag älskar dig」
ーー言い飽きた程口にした愛の言葉を、聞こえぬ程度に呟いた。
2019/02/14 ハッピーバレンタインなスヴェンxミキ